ブルース・リーとわたし

つよしさん、いつも拝見させて頂いてますKOJIです。
早速ですが、私とLEE様との出会いについて簡単にお話しします。

初めてLEE様の存在を知ったのは、確か小学校3~4年生ぐらいだったか?もちろん『燃えよ!』の大ブレイク時ですね。学校のゴム縄跳びでヌンチャクを作っているヤツばかりでした。(私もその一人ですが)かっこいいけど、コワそうな人だな~ってのがLEE様の第一印象。
 ただ、当時はうちの家庭や学校が厳しく、劇場へ見に行くことはありませんでした。(唯一、劇場で見れた映画は『東映まんが祭り』ぐらいだったかと記憶してます。)当時、LEE様については未だ生きてる人だと思い込んでました。昼のTV(アフタヌーンショーかな?)で、何度かLEE様について取り上げてましたね。体に針を打ったLEE様そっくりさんが、ヌンチャク振り回して何かしてたのを覚えて
ます。
 学校では、当時チラシブームがあり、私も様々なチラシを集めてました。LEE様のものはやはり人気ありましたね。高学年になるにつれ、やっと劇場でLEE様の『燃えよ!』に出会えました。その後、各作品を拝見したのですが、やはりドラゴン・ブームって今思えば凄いですよね!だって、町のどの劇場も『・・・ドラゴン』の看板だらけ。香港産、米国産、日本産の何人ものドラゴン達で流行ってましたから。映画雑誌の人気投票にて、長年1位をKeepし続けたLEE様でしたが、『死亡遊戯』の
公開後J.チェンの出現でその座を受け渡し、あの時の寂しさは未だに忘れられません。
 LEE様の追悼式には、毎年欠かさず参加してました。先日の追悼式は、15年ぶりで、何かすっごく懐かしい思いでした。
 何か、まとまりのない文になってしまってごめんなさい。これからも、皆さんとLEE様について熱く語り合いたいです。

こんにちは、AKさんのページで知りました。DNA青木と言います。

つよしさんのページもなかなか素晴らしいですね!!さて私がリー先生に出会ったのは1974年、中学に入ってすぐ、同級生が確か「決定版ブルース・リー」のボロボロになった本を学校に持ってきて何だかとにかく、「ブルー・スリーってスゲエんだぜっ!!」と騒いでいたのがきっかけだったと思います。その頃はもうブームになりかけていたのでTVなんかで良く名前は聞いていました。やはり私も当時は「ブルー・スリー」だと思っていました。私の小学校時代は「仮面ライダー」を代表とする変身ヒーロー物が流行っていて私も良く友達と眉間にシワ&鼻の穴膨らませて「変っ身っ!!」とかやっていましたが、さすがに中学生になると変身物はもう幼稚で何となく恥ずかしくて何か別の新しい「恥ずかしくないヒーロー」を求めていた頃だったと思います。名前も何か「仮面ライダーV3(ブイスリー)」に似てて親近感が持てたし、あの凄まじいばかりの筋肉も仮面ライダーのような作り物でない本物の凄さを子供心に感じていたのだと思います。

その頃はまだ映画を見てなくてたまにTVで紹介されたり「燃えドラ」を見た友達の話を聞いてまだ見ぬヒーローに想いを馳せていました。そんなある日曜日、新聞の広告に「ドラゴン危機一発」のモノクロのチラシが付いてきて「俺はこの人のファンになるんだっ、絶対にこれを見に行くんだっ!!」と決心しました。チラシのカラーの裏面、と言うか本当はこっちがメインなのですが、同時上映はスティーブ・マックイーンの「パピヨン」で、その頃には既に何かの本か記事で「マックイーンはリーの空手の弟子であった。」と知っていたので「何で弟子の映画が先生の映画よりメインなんだっ?」と子供心に憤慨したのを覚えています。

そしてとうとう「危機一発」を見に行きました。映画館はギッシリ満員で通路まで座り込んでいたり、座れない人は立ち見だったりと、とにかく混んでいてまだ冷房設備も今ほど発達していなかったのと、観客の熱気とで蒸し風呂状態だったのを覚えています。そして「アチョ~ッ!」は無かったけれど「仮面ライダーより上手くて速い蹴り」に大興奮して帰りに「ドラゴン大特集」を買い、家に帰るとひたすらサイド・キックの練習、そしていつしか親に付けられたあだ名が「ブルキチ」...。「ブルース・リー・キチ○イ」の略ですね。それからはもう物干し竿でヌンチャクを作り毎日外で練習、その内近所の友達や下級生もみんな自家性のヌンチャクを作って集まってきて当時は塾なんて行かなかったから夕飯時まで毎日練習、と言う日々でした。私にはヌンチャクの弟子が11人いたんです(笑)。 最近のブル-ス・リー・ブームで良く当時の事を思い出し、一人の外国人映画スターが子供から大人までにあれだけの大ブーム(しかも世界規模で!!)を巻き起こした事は後にも先にも無かったのでは?とつくづくブルース・リーの偉大さに改めて敬服する昨今です。現在私は前橋で輸入CD&レコード店をやっていますが来店されるお客様の中に自分より2つ年上のリー・ファンがいまして、先日その方が私の趣味で店に置いてあるリー本に載ってる現在のシャノンちゃんの写真を見つけ思わず「大きくなったねぇ~っ。」とつぶやき「お前は親戚の親父かあ~っ!」と笑い合ってしまいましたが我々の世代はよく当時の「ロードショー」なんかでシャノンとブランドンの子供時代の写真をいつも見てたのでリー家にはおこがましいですが、そんな「ヴァーチャル親戚のオヤジ状態」も無理もありませんね。

私は8/4のイベントに行きますがその「大きくなったシャノンちゃん」に会えるのも楽しみです。それにしてもあれからもう24年かぁ~っ、とずいぶん長くなってしまいましたがスイマセン。

わたしと、ブルース・リーの出会いはちょっと変っているかもしれません。

自分が中1の頃TVアニメで「空手バカ一代」が放映されその影響で大山倍達の書物を読み、コミックを買い

「空手を始めようか?」

そう思っていた頃の12月映画館の前にへんちょこりんな兄さんのペーパードール発見!ヌンチャクを構えた変な髪型だ。(切り抜きが悪かった)しかしその時はさして気に止めなかった。

数日後、中3のお兄ちゃんに下校途中

「お前、これ知っちょるか?」

と、聞かれた。
これこそ初めてブルース・リーのまともな写真を見た時であった!

しかし名前は知らなかった。

「なんとか、リー」

と答えたらその兄ちゃんはうれしかったらしく

「お前!よー知っとるのう!ほーよブルース・リーよ!かっこええんでー」

この時、初めて私はブルース・リーを知ったのであった。

しかし、それからすぐに映画を見に行ったわけではなく、その姿を見たのはTVの特番からであった。戦うブルース・リーの姿を見た自分は震えるような興奮を覚え、少ない小遣いと昼飯を食べず昼食代をうかせて映画を見に行った、その作品が「ドラゴン危機一発」である。

それからは、時代はブルース・リーブーム真っ盛り・・・レコード、雑誌、TVと元々オタク性の自分の性格は貧乏ながら突っ走った。同時に空手を習いはじめ(糸洲流)ブルース・リーへの憧れは一気に頂点に達していった。映画館にはテープレコーダーを持参し音声の録音、TVスペシャルは8㎜カメラをすえて撮影(いいカメラでなかったのでちらつきが激しかった。)遂に、映画館に8㎜を持っていき撮影を決行!しかしそのカメラの音がうるさくて他の客に怒られたりしました。

もちろん髪型はブルース・リー、長髪禁止であったため後ろ髪を先生に引っ張られました。が、止めませんでした。学校ではヌンチャク禁止令が出ましたが、友人と自作のヌンチャクを学校に持っていき振り回していたら、女子に密告され怒られた上にヌンチャクは取り上げられました。

そのころ、私には大それた事を思い付いた、自分達でブルース・リーのような映画を作ろう!脚本、演出、と自分でこなし主役は友人(現在空手道場経営)と自分の弟、自分をメインにクラスの友人を集めて8㎜映画を作ったのであった。

ちょうど「ドラゴンへの道」公開直前だったため内容は真似っこ映画・・しかしながら好評でシリーズ3本を製作した。自分が高校生になった頃、ブルース・リーブームも少し衰えはじめ空手を極真会館に変わった頃からブルース・リーよりも目の前にいる実在のヒーローであった、芦原英幸先生を見てからは空手がメインとなっていった。

この頃もう1本映画を製作しているが、完全にブルース・リー映画では無くなっている。そんな時、死亡遊戯を見てもう一度ブルース・リーに感動したものであった。

やはり、ブルース・リーは、凄い!

その後ブルース・リーの話題も消えていた頃、目にしたのが死亡の塔。しかし、これを見た直後、ブルース・リー映画も終ったな・・・とさえ思ってしまった。社会人になり、ビデオを買ってやはり欲しかったのがブルース・リーのビデオ、輸入品のビデオを見て初めて自分の見た映画は日本オリジナルだと気付きました。

その後、日本語字幕と書かれたビデオに飛びつき見てみれば広東語・・・それ以来ブルース・リーの映画は燃えよドラゴン以外はビデオで見る事も無くなっていました・・・

それから数年後・・LDBOXに英語、広東語バイリンガルの文字が、その直後にLDプレーヤーを買いLDを手に入れました・・・この頃からです、再び私にもブルース・リー熱が復活したのは、それから間もなく「ブルース・リードラゴン物語」が公開され、新しい世代にブルース・リーというヒーローが浸透してきました。私も若い子に燃えよドラゴンを無理矢理ビデオを貸して素晴らしさを教えました、もちろん若い世代にもカッコよく見えたようで、全作品貸してくれと言ってきます。

1997年にHPを開設した時、まさかこちらがメインになってしまうとは思いもしませんでした。現在でもこれだけ支持され今なおファンを増やし続けるブルース・リー・・・不滅のヒーローですね、ブルース・リー万歳!みなさん、これからもファンの同志として楽しくやりましょう!

いったい、なんの文かわからなくなってしまいました・・・すみません。

こんにちは そしてはじめまして。

つよしさんホームページ拝見しました。
私 征龍と李小龍との出会いは小学校5年ごろだったとおもいます。

私の伯父が部屋に死亡遊戯のポスターを貼っていました。一目みて純粋にかっこいい人だなあとおもいました。それからしばらくしてテレビで燃えよドラゴンがありました。それではまってしまいました。

まだビデオなどは普及しておらず当時はよく近くの大型電気店にかよいそこのビデオをかってにいじって死亡遊戯をよくみていました。店の人たちは、またきたこのガキと思っていたとおもいます。ボリュームをよくリモコンでさげられました。

死亡遊戯はイノサントとの戦いとラストのシーンをよくみました。まだ本でしかみたことない鉄拳や道、危機一発の映像にみいってました。

そして極真空手を習いはじめて李小龍のようになりたい願望はスパークしていきました。

そんな中学2年のある日リターンオブがありましたはじめてみる鉄拳にわくわくしていました。はじめのシーンがいまだに忘れられません。(おそかったか)のところです。もう、すごく感動しました。

そしていまも熱はまだまだあります。
ブルースリー世代よりは少し年下の私ですが皆さんと同じぐらい李小龍がすきです。長い文ですみません。これからなにか李小龍情報ありましたらおしえてください。

ドラゴンリーです。

リーと初めてであったのは、ドラゴン危機一発でした。当時11才の私は、やや太り気味の為 両親のすすめで柔道を習っていました。そのなかでちびでうるさい緑帯がいて、ただでさえうるさいのに柔道なのにやたら蹴ったり殴ったりして奇声を上げている子供がいました。

私の友人が
「あれはブルース・リーとか言う人の真似をしているんだよ」
と教えてくれ
「ブルース・リーて?」
と聞き返す私に、
「8時だよ。全員集合の初めの芝居に加藤茶といっしょに奇声を上げている人だよ。今映画が来ているから見にゆく?」
「いく。」
という具合でした。

ここで当時の私は、テレビにドリフといっしょに出ている変な人がブルース・リーだと勘違いしているわけです。

日曜日に映画館に行く事になり、9時からの上映だけども早くいったほうが良いとの事になり、7時に映画館につきました。それでも20名くらいの人がキップ売り場の前に並んでおり、その中に他の友人も含まれていました。

8時くらいになると映画館の周りは、リーを見るための人だらけで約50メーター先には違う映画を上映している映画館があるのですか、それを通り越してまだ人が集まってくるくらい盛況でした。映画館の館主が状況を把握したため、入場の時間を繰り上げて私たちはやっと映画館に入る事になりました。

私の住んでいるところは地方の為、ロードショーでも2本立てです。もう一本は「ドーベルマン・ギャング」というドーベルマンという犬を使った銀行強盗の映画でした。危機一発は、その後の順番だったためくだらない映画を一本我慢してみて、やっとリーに出会えました。

オープニングから激しいイメージで全身が震えました。危機一発は当時の私にとっては、かなり残酷な映画で血がどくどく出て、多くの人がなぶり殺しにあい、友人や親戚が殺されるというショッキングな内容で、リー自体も傷つきながら悪人を倒し、最後に警察に逮捕されるというまさにショックに次ぐショックの連続でした。

映画を見た後、かなり影響を受けたのでしょうか。

当時流行っていた消しゴム人形でリーの格闘を再現したりしていました。まだ自分で蹴ったり殴ったりの真似をするまでにはいたらなかったようです。又あれは映画の中の出来事と感じとっていたからも知れません。

その後、リーに影響を受けた友達は後を絶たず、学校でも真似事をするようになります。

その後、リーの一周忌に「ドラゴン怒りの鉄拳」が公開され、2番館で「燃えよドラゴン」を見てますますリーにはまって行きます。幸いにして、香港でリーがブームになる為の映画が一番最初に見た映画であった事が、不完全なリー映画のブームになる過程を敬遠できたように思えます。

リーの事を書かせると、終わらなくなりますのでこれくらいで止めます。このサイトをご覧になっている方といつか何処かでリー談義ができる事を望みます。因みに私は、関西の和歌山というところに住んでいます。近くにお住まいの方、是非ともメール下さい 。

さて、私とリー様の出会いについてですが、あ~語り尽せない思いがよみがえります。

確か小学五年の頃、クラスの男の子達の異変に気がつきました。みんな廊下で飛び蹴りしながら「あちょー」とか「ほちょー」とかやってるんです。なんなんだ??と興味をひかれて聞いてみると、とにかくスゴイ人がいるとのこと。学校帰りにその映画のポスターをみると、コワイ男の人がニラんでいるじゃないですか。

こ、これが男子の言ってた人?コワイ!なになに、怒りの鉄拳?これって、なに?なんだかわからないけど、みてみようかなあ。

でも、クラスの女の子で関心のある子は皆無!!

「あの、アチョーとかいうキ○ガイみたい人?」・・・だれも一緒に行ってくれそうにありません。誰かと行かないと親から小遣いがもらえない!!

そうだ!おさななじみの章ちゃんだ!
運良く、章ちゃんもリー様にハマっていたので、映画を見る事ができました。

映画の内容は、あまりよく把握できなかった。とにかくスゴイ!なんだ、この人?!スゴイ!スゴイ!スゴ~~~~イ!!で映画が終わってしまいました。

それからは、男子に混じってケリの練習をする私がいました。こんなんでいいかしら?出会ったとこまでで一応終わりにしておきます。

この後、二十五年の苦労バナシってのもありますよ。今度、『リーファン・氷河期特集』やってください。これ結構ツライ思い出ある人いますよ。私もだけど・・・。くれぐれも無理をしない程度に頑張って下さい。次の企画まで提案しといて・・・。(笑)

「私とブルース・リーの出会い」ですが、中二(昭和48年)の時に初めて観たのですが・・・・よく他の掲示板でも書かせてもらってます。

それは中国人のスターと初めて出会ったというのが、一番でした。かなり中国ということで(すみませんちょっとなめてました。)不思議な感じがありましたね。観た後はすっかり変わってました。中国拳法はやはり歴史が深い!!これが東洋のヒーローだ!!なんて単純なやつです。(私)

下敷きの中にリーの切り抜き入れて中学校に行ってました。女子は燃えドラのリーの写真を見て変な顔なんて言ってましたね。西城・郷・野口の頃ですね。豊川ジョウなんてのもありました。

わたし考えてみますと、あまりグッズも持ってませんね。処分したのもたくさんあります。25歳くらいから、リー熱もおさまりシオシオと頭の片隅にありました。93年くらいからでしょうかドラゴンブルース・リー物語あたりでじょじょに復活したのは。いまはリーマニア再びという感じです。

私がリーを好きになったきっかけは、「鉄拳」です。

あの映画の中にノラ・ミャオとのキスシーンがありますよね。そのシーン、子供だった私にはとても刺激がありました。その前の、肉を食べるシーンもよく記憶に残ってますが・・・。

私はノラミャオが羨ましくて、大人になったら香港の女優になるぞ!と、思ったこともありました。でも、それからしばらくして、リーはもう死んでるんだよ、と姉から聞いてかなりショックを受けました。リーが初恋の人ではないのだけれど、それに近いかな。

でも、不思議とおつき合いした(少数)男性は、リーとはまったくかけ離れた人でした。顔も全く似てない!まあ男性は、外見ではない、ということなんでしょうね。

つよしさんも、リーについていろいろ語ってくださいね。では、またね。

1974年1月1日深夜、当時中学生だったわたしは、冬休みの気楽さから夜更かしをして深夜放送を聞いていました。「オールナイト・ニッポン」です。その夜のパーソナリティは泉谷しげる。フォーク・ソング・ブームとはいえ陽水派のわたしは特に泉谷がすきと言うわけではなく、布団の中でまどろみながらラジオをつけていました。

ところがその夜の泉谷がいつもと様子がちがい、えらく興奮しているではないですか。

よく聞いてみると、どうやら映画を観てきたと。それがえらく興奮する映画のようで、一体なんというタイトルかと耳をそばだてました。その映画とはもちろん

「燃えよドラゴン」!

出演者はブルー・スリー!?(ブルーとスリー・・・青と三?)一体なんなのだ?というのが初めて「ブルース・リー」という言葉を聞いた第一印象でした。

そして数日後、中学校への通学途中、近所の先輩が声をかけてきました。

「おい、えらくおもしろい映画をやってるぞ。・・・『燃えよドラゴン』」

(私の心の声)「そんなにおもしろいのか、そう言えばこの前、泉谷が言っていたのがたしか・・」

それからまたまた数日後、父親と街へ出る機会があり、なぜか忘れましたが、好きなレコードを買うか、映画を見るかどちらがいいか、という話なったその時!ちょうど通りかかったのが映画館の前。そしてかかっていたのはもちろん「燃えよドラゴン」。

これが運命の出会いと言うものでしょうか。
いきなり、2人の男がパンツ姿で格闘し、最近よく耳にしていたあのテーマ・ミュージック(でも、ちょっとちがうって感じ)をバックに初めて見る香港の町並み、あっという間の100分でした。ちなみに同時上映はポール・ニューマン主演の「マッキントッシュの男」、これは最初だけちらっと見て映画館を出ました。

あとは巷のドラゴンぼんくらの見本のようにブルース・リー地獄(天国?)へまっしぐらの人生でした。では、つづきはまたの機会に・・・。