No.008 DNA青木さんの「ブルース・リーとわたし」

こんにちは、AKさんのページで知りました。DNA青木と言います。

つよしさんのページもなかなか素晴らしいですね!!さて私がリー先生に出会ったのは1974年、中学に入ってすぐ、同級生が確か「決定版ブルース・リー」のボロボロになった本を学校に持ってきて何だかとにかく、「ブルー・スリーってスゲエんだぜっ!!」と騒いでいたのがきっかけだったと思います。その頃はもうブームになりかけていたのでTVなんかで良く名前は聞いていました。やはり私も当時は「ブルー・スリー」だと思っていました。私の小学校時代は「仮面ライダー」を代表とする変身ヒーロー物が流行っていて私も良く友達と眉間にシワ&鼻の穴膨らませて「変っ身っ!!」とかやっていましたが、さすがに中学生になると変身物はもう幼稚で何となく恥ずかしくて何か別の新しい「恥ずかしくないヒーロー」を求めていた頃だったと思います。名前も何か「仮面ライダーV3(ブイスリー)」に似てて親近感が持てたし、あの凄まじいばかりの筋肉も仮面ライダーのような作り物でない本物の凄さを子供心に感じていたのだと思います。

その頃はまだ映画を見てなくてたまにTVで紹介されたり「燃えドラ」を見た友達の話を聞いてまだ見ぬヒーローに想いを馳せていました。そんなある日曜日、新聞の広告に「ドラゴン危機一発」のモノクロのチラシが付いてきて「俺はこの人のファンになるんだっ、絶対にこれを見に行くんだっ!!」と決心しました。チラシのカラーの裏面、と言うか本当はこっちがメインなのですが、同時上映はスティーブ・マックイーンの「パピヨン」で、その頃には既に何かの本か記事で「マックイーンはリーの空手の弟子であった。」と知っていたので「何で弟子の映画が先生の映画よりメインなんだっ?」と子供心に憤慨したのを覚えています。

そしてとうとう「危機一発」を見に行きました。映画館はギッシリ満員で通路まで座り込んでいたり、座れない人は立ち見だったりと、とにかく混んでいてまだ冷房設備も今ほど発達していなかったのと、観客の熱気とで蒸し風呂状態だったのを覚えています。そして「アチョ~ッ!」は無かったけれど「仮面ライダーより上手くて速い蹴り」に大興奮して帰りに「ドラゴン大特集」を買い、家に帰るとひたすらサイド・キックの練習、そしていつしか親に付けられたあだ名が「ブルキチ」...。「ブルース・リー・キチ○イ」の略ですね。それからはもう物干し竿でヌンチャクを作り毎日外で練習、その内近所の友達や下級生もみんな自家性のヌンチャクを作って集まってきて当時は塾なんて行かなかったから夕飯時まで毎日練習、と言う日々でした。私にはヌンチャクの弟子が11人いたんです(笑)。 最近のブル-ス・リー・ブームで良く当時の事を思い出し、一人の外国人映画スターが子供から大人までにあれだけの大ブーム(しかも世界規模で!!)を巻き起こした事は後にも先にも無かったのでは?とつくづくブルース・リーの偉大さに改めて敬服する昨今です。現在私は前橋で輸入CD&レコード店をやっていますが来店されるお客様の中に自分より2つ年上のリー・ファンがいまして、先日その方が私の趣味で店に置いてあるリー本に載ってる現在のシャノンちゃんの写真を見つけ思わず「大きくなったねぇ~っ。」とつぶやき「お前は親戚の親父かあ~っ!」と笑い合ってしまいましたが我々の世代はよく当時の「ロードショー」なんかでシャノンとブランドンの子供時代の写真をいつも見てたのでリー家にはおこがましいですが、そんな「ヴァーチャル親戚のオヤジ状態」も無理もありませんね。

私は8/4のイベントに行きますがその「大きくなったシャノンちゃん」に会えるのも楽しみです。それにしてもあれからもう24年かぁ~っ、とずいぶん長くなってしまいましたがスイマセン。

DNA青木さん、ありがとうございました。

「ブルー・スリー」、やっぱり同じ事を考える人がいたんですね。なんだかうれしいです。「ブイスリー」は気がつきませんでした。「ブルキチ」とはいやはや「のらくろ」みたいですね。もしかしたらご両親は「のらくろ」のファンでは?弟子が11人とはすごい。まさに「11人いる!」(わかるかな)ですね。  「ヴァーチャル親戚」といえば、わたしもブランドンが死んだ日に偶然出会った「元ブルキチの同級生」と「おい、ブランドンくんが死んだね」などとまるで身内の不幸のような会話をしていました。知らないうちに「親戚状態」(笑)、みんなそうなんでしょうね、きっと。DNA青木さんのお店、ぜひ一度寄ってみたいものです。